フライフィッシング的本棚(1)
大人の釣りびとのための寓話
『セーヌの釣りびとヨナス』
文と絵=ライナー・チムニク/訳=矢川澄子
童話屋(1981年)、パロル舎、福武文庫 joyシリーズ
角 敬裕(古書売買業)× 倉茂 学(渡渉舎)
倉茂 このコーナーでは、われわれフライフィッシャーマンが読んでも面白いと思えるような本を探してきて、楽しんでみたいと思います。さまざまなジャンルの古書に詳しい角敬裕さんにいろいろお話をうかがいながらすすめてみます。
その前に、角さんのことなのですが、勤めをやめて、古書売買業を始められたとのことですが、古書はもともとお好きだったんですね。
角 はい。古書はだいぶ前から趣味で気に入ったものを収集していました。勤めていた会社には長年世話になり、多くの得るものがありましたが、立ち止まって自分がいちばん好きなものはなにかと考えたとき、やはり「釣りと古書」だと思いました。いずれは釣りの古書をメインに扱うオンライン古書店を始めようと考えています。
倉茂 面白そうですね。期待しています。さっそくですが、この「フライフィッシング的本棚」の一冊目は、ライナー・チムニク著『セーヌの釣りびとヨナス』(1981年/童話社ほか)です。見開きページの右側に文章、左側にイラストが一点という構成でおおむねつくられています。あらすじはこんな感じです。
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著者ライナー・チムニクは、パリの街なかのセーヌ河での釣りを、次のように描く。
「釣れるのは、ほんのちっぽけな魚ばかり。だが、パリの釣りびととしては、そこがまたこたえられない」
そんなパリの釣りびとのひとりのヨナスは、小さな魚では満足できなくなる。でかい魚を釣るにはどうしたらいいか。夢のなかで神さまにその方法を教わったヨナスは、セーヌ河でブタほどもあるでかい魚を釣りあげる。
しかし、セーヌの釣りびとたちはむくれた。「おれたちゃ、釣りそのものをたのしんでるんだ。ヨナスはちがう」
そしてヨナスはセーヌから追放される。
ヨナスは世界中の水辺に釣り旅に出る。行く先々で、神さまに教わった釣り方で、でかい魚をものにしたヨナスは、釣り名人として、どこへ行っても親切にむかえられた。ニューヨークへ行き、メキシコへ行った。チチカカ湖、インドにも行った。
ある日、ナイルで釣っていたヨナスは、渡り鳥を見送る。それは春をむかえつつあるセーヌへ向かう鳥だった。
そしてヨナスは、ただみみずだけを使ってちっぽけな魚だけを釣るセーヌの釣りへと戻っていく。
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角 この本は、いわば大人のための絵本です。ライナー・チムニクの自由な筆使いによる絵のよさもさることながら、彼の文章を読むと、釣りの楽しさとはなんだろうか、という軽やかな問いかけなんとも心地いいんですね。チムニクが釣りのことをよく知っていることがうかがえます。「水に縁があるものなら、何でも好きだった。流れ、海、雨、みみず、そして何より、魚」とある。で、釣りの話に終始しているのに、ふだんの暮らしの匂いがするんです。
倉茂 釣りが街の暮らしとともにあるものとして描かれていますね。主人公のヨナスが、大きな魚を求めて釣り竿を持って世界を旅するのですが、行く先々での釣りの描写にも、その土地の人々の生活がかならず描かれています。たとえば、「ヴォルガでは、日がしずむと、魚釣りをやめる。漁師たちは、アコーディオンをかなで、ヴォルガの舟唄をうたうのだ」というように。
角 えてしてわれわれは釣りに非日常とかなるべく遠くの土地などを求めていて、それが釣りの楽しみのひとつでもあるんだけど、ふだんの暮らしのなかにある釣りというのは、またたまらない魅力があるはずなんですね。いまやそれを得るのはとてもむずかしいですが。
倉茂 「釣れるのは、ほんのちっぽけな魚ばかり。だが、パリの釣りびととしては、そこがまたこたえられない」とある。この短い文章のなかに、釣りびとの背景の、釣り仲間とか、川辺の顔見知りの人やネコとか、家族だとか、岸辺にある一杯飲み屋だとかの存在を感じる。焼き鳥の匂いすら漂ってきませんか(笑)。この絵に描かれている釣りびとは、釣りがおわったあと、ガールフレンドと待ち合わせしているんじゃないかなとか。そんな釣りが自分が暮らしているこの街のどこかでできたらなあとうらやましくなります。そういえば、アーネスト・ヘミングウェイは『移動祝祭日』(1990年/岩波書店/同時代ライブラリー)というエッセイ集のなかで、セーヌの釣りびとのことを次のように書いています。「パリの街中で釣りをしている人たちがいて、健全でまじめな釣りをし、家族の者にいくらかの魚のフライをもって帰るのだ、と思うと、私はいつも楽しい気持ちになった」。
角 開高健の『フィッシュ・オン』(1971年/朝日新聞社ほか)にもセーヌの釣りびとについての文章がありますね。開高がセーヌ河でボートを出して小物釣りをするのですが、そこへ別のボートで遊び人風の初老の男が若い女を連れてやってくる。「はじめは父と娘かと思ったが、どうやらプレイ・オジサンと女友達であるらしい。ヴァカンスの季節に南へいかず、パリにのこって、セーヌで雑魚釣りと小憎くしゃれこんだ風情」とある。うらやましいですねえ(笑)。
倉茂 その二人の釣り姿を撮った写真が載っていますが、『フィッシュ・オン』のなかでも珠玉の一枚ですね。
角 この本は、ほとんど標準レンズで撮っている秋元啓一の写真がまたいい。ま、いずれぼくらもプレイ・オジサンになるとして(笑)、こういったふだんの暮らしのなかにある釣りができるところというと、東京で言えば、多摩川でしょうか。
倉茂 うーん、いまの多摩川って、釣りびとにとってどうなんだろうか。サクラマスが遡上しているというウワサもありますから、潜在能力はハンパではないと思いますが。あ、小物釣りでいいんでしたね(笑)。
全国の街のなかには、そういった、ふだんの暮らしのなかにある釣りができる川があるのかもしれないですね。そのような川があったら訪ねてみたいものです。北海道釧路市の釧路川などは昔からそういう役割を担ってきているのではないでしょうか。あそこでは、春、アメマスがサケ稚魚とともに川をくだってくるときは、ほんとの街なかで美しいアメマスが釣れますものね。で、ふと見上げると、女子高生が自転車乗って通学していたりする(笑)。
角 地元の方は、「ロケーションいまいちなんだけどね」などと言うんだけれど、あの街なかで釣りができる豊さといったらね。
チムニクは、「セーヌぬきのパリが考えられるか」「釣りびとぬきのセーヌが考えられるか」と、ちょっとふつうでは出てこないはずの言葉を使っていますが、こういう言葉がでる背景には、抜き差しならない歴史的な経過があるんでしょうね。この本はあくまで軽やかですが。チムニクの略歴をみると、1930年現ポーランド領ボイテン生まれ、1954年第二次世界大戦の戦火をさけバイエルンにのがれたが、戦争により父を失う、とある。
翻訳もリズム感があり、絵とあいまって、ページを繰るのが楽しい一冊です。パロル社、福武文庫joyシリーズでなら新刊で入手できるようです。なるべく大きな判で読んだほうが、絵もより楽しめます。
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