フライフィッシング的本棚(4)

職漁師からマリアッチへ
『誰も書かなかったメキシコ』
中林淳眞/1975年/サンケイ出版


角 敬裕(古書売買業)× 倉茂 学(渡渉舎)


 倉茂 今回は、ギタリストの中林淳眞(なかばやし・あつまさ)さんについてふれたいと思います。

  私は『釣りひとり』(山村聡/1979年/二見書房)で中林さんの名を知りました。1944年の終戦の年に茨城の牛久沼のほとりに疎開し、ヘラブナなどの川魚を釣る職漁師として生計を立てていた人ということで印象に残っていたのですが、その後『へらぶな三国志』(増田逸魚/1979年/桃園書房)や、中林さんのお母さんの著書『春鮒日記』(英美子/1994年/つり人ノベルズ)でその生き様の断片を知るに至り、この人はただ者ではないなと思っていました。終戦後の復興期にヘラブナ釣りの世界はたいへんに盛り上がったようですが、この三冊はその熱気もうまく表現していて秀逸です。その熱気のなかで、中林さんもプロの職漁師としての経験から、牛久沼にマブナへ変質しつつあるヘラブナ、「半ベラ」が存在するという説を示して、当時のヘラブナ釣り界に一大論争を巻き起こしたりしています。その「半ベラ」の存在を、喰い方や地合で感じとったというし、釣ったヘラブナを卸して所得税を取られたり、釣り舟や家まで買ってしまうくらいだから、その釣りまくりぶりは凄まじいものがあったのでしょう。

 倉茂 釣り好きが職漁師をやるというと気楽な印象があるけれど、実際は楽しむ間などなかったのではと思います。でも、そこまで集中して釣っていたからこそ見えていた釣りの隠微なところもあったでしょうね。中林さんが戦時中にそれまで経験がなかったという職漁師を選んだのは、なにものにも属さずに自分の道を行きたいという気持ちがあったのではないかと想像をたくましくしています。そうして中林さんは優秀な職漁師として稼ぎつつ、ギターの練習に打ち込み、のちに職漁師をやめ、1955年にクラシック・ギタリストとしてデビューして、国際的に評価されるのですね。

  私はその後、古書の仕入れをしているなかで、たまたま中林さんの『誰も書かなかったメキシコ』(1975年/サンケイ出版)を手に入れました。1960年代の数回にわたるメキシコ滞在についての作品です。中南米文化のなかでの人々の暮らしを、そのなかにギター片手に身を投じながら、情感豊かに描いています。メキシコでの釣り体験を語っているところもあります。私が知らない、しかし憧れてもいる中南米などのスペイン語圏の文化を日本人の視線で表現しているという点で、強く惹かれるものがありました。

 倉茂 どこか浮き世離れしたスケールの大きさと、自由に生きる人の匂いを感じるんですね。
 そして、中林さんのWebサイトが見つかり、78歳になられるいまも、ギターを片手に日本全国をライブをしてまわっておられることがわかった。釣りのほうも地元の岡山での海や山での釣りをはじめ、ライブで出向いた先でも隙あらば竿を出すという釣りキチぶりを発揮されているご様子で(笑)、私もますますこの人のことを知りたいと思いました。ギターと釣り竿というのは相性がいいのではないでしょうか。どちらも、片手に国境もこえてどこにでも行ってしまえて、行った先で居場所をつくることができるんですね。
 で、中林さんのCDも手に入れて、東京でもライブの予定があることを知り、行ってみたんですね。

  中林さんは自身のライブ活動を「セレナーデ・コンサート」と称しています。メキシコではマリアッチという流しの演奏グループがいくつもあって、彼らに依頼して、親しい人、恋人などに音楽をプレゼントする習慣があるそうで、それをセレナーデと呼ぶそうです。中林さんは1960年代のメキシコ滞在時にこのマリアッチたちの仲間となっていたといいますから、いまなおその延長線上で生きておられると言えるかもしれません。いまの日本の政治や経済がアングロサクソンの流儀でうねり、誰もがそこに巻き込まれて行くなか、中林さんの生き方にはラテンのなんたるかが垣間見えるように思います。中林さんは、「日本は音楽があふれているわりには、日常生活のなかで生演奏にふれる機会は少ない」とおっしゃっています。

 倉茂 実際にライブでお会いした中林さんは、輝いていました。スッとのびた背、日焼けした柔和な、しかし芯が強そうな顔立ち、長年の演奏活動によって大きくなったと思われる手、その手から奏でられるオリジナル曲の独創性...惹きこまれましたね。
 その後、1997年から2年間、月刊『つり人』(つり人社)に連載エッセイがあったことを知りました。この記事で中林さんは、お母さんであり詩人だった英美子さんの詩に着想を得て、釣りの思い出を書いています。

  このエッセイを読むと、いずれも掌編ながら、中林さんのエンターティナーぶりを味わうことができます。たとえば、連載41回目の『「コドモの絵」に寄せて』では、スペインのアビラという街で出会った少年バーテンダーとの釣りを描いていますが、バーのカウンター越しの会話など、映画のワンシーンのような描写のなかに釣りの妙味を感じて楽しかった。想像ですが、中南米でのマリアッチの経験から、短い時間でも聴衆の心をつかむ術を身につけておられるのではないでしょうか。ライブでは私もすっかりその魔法にかけられてしまいました。
 この連載には、ほかにも、戦時中の東京での釣りや、アンデスの山奥でのニジマス釣り、盛夏の激流でのアユ釣り、地元岡山での瀬戸の海でのボート釣りなどなどが、軽やかさと繊細さを持った筆致で描かれていて、中林さんがありとあらゆる釣りを経験されてきたことがわかります。しかしフライフィッシングはやっていないようですね。

 倉茂 その点は直接ご本人にうかがったところ、ギタリストとして右手首を大事にしたいという理由でフライフィッシングはやっていないとのことです。ただ、『つり人』のエッセイにある道具や釣り方の細かいディテールへのこだわりなどを見ると、フライフィッシングの妙味も当然わかっていらっしゃるだろうと思います。
 ちなみにこの連載エッセイはまだ単行本になっていないようです。これだけのいろいろな釣りの話を楽しく読ませる文章はめずらしいと思います。単行本化を期待したいですね。

  いくつかの本をきっかけにして中林さんの存在を知り、その釣りへののめりこみぶりを感じ、お会いしてその演奏を聴く機会をも得ました。それは本というメディアが持つ、時間をこえて影響を与えるという特性によって結ばれた縁です。幸せなことですね。

(2005年12月/東京・阿佐ヶ谷にて)


■『誰も書かなかったメキシコ』より

■『別冊フィッシング/ヘラブナ』(1981年/産報出版)の「ギターと釣り竿」(中林淳真)より
 ヘラブナを特集したムックに収録された中林さんのエッセイ。終戦前後の職漁師時代に釣った「半ベラ」にまつわる出来事を綴っている。テンカラ竿と思われる竿を片手にした中林さんの写真が掲載されている。どこか日本人離れした灰汁抜けた雰囲気。

以下の3冊は、こちらでご紹介しています。
■『釣りひとり』(山村聡/1979年/二見書房)
■『へらぶな三国志』(増田逸魚/1979年/桃園書房)
■『春鮒日記』(英美子/1994年/つり人ノベルズ)

■『SUITE PICTORICA DE GUITARRA/絵画的ギター組曲〜スペイン・中南米』(中林淳眞/1977年/エス・ツウ)
 1962年と1971年に作曲された作品からなる組曲集のCD。スペイン、中南米で出会った風景がモチーフになっているようだ。楽曲、演奏ともにすばらしい。クラシックギターになじみがない人も楽しめると思える。こんな音楽が流れている古書店があったら...。こちらで入手可。

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■フライフィッシング的本棚
1)セーヌの釣りびとヨナス
2)釣りひとり
3)ぶらりフィッシング
4)誰も書かなかったメキシコ
5)タナゴの釣り方
6)淡水大魚釣り
7)道東の釣り/きたの釣り
8)水生昆虫アルバム