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フライフィッシング的本棚(5)
フライフィッシャーマンがはまるタナゴ釣り
『タナゴの釣り方』
吉田守緒/1965年/西東社
ゲスト=田中啓一(ファッション・デザイナー)
角 敬裕(古書売買業)×倉茂 学(渡渉舎)
倉茂 今回は、バリバリのフライフィッシャーマンでありつつ、タナゴ釣りにもはまっていらっしゃる田中啓一さんをゲストにお迎えして、タナゴ釣りについてふれたいと思います。田中さんはどんな釣りを経験されてきて、なにをきっかけにしてタナゴ釣りを始められたのですが。
田中 私は小学生の頃から釣り好きで、親父にヤマベ釣りに連れて行かれたりしていました。東京の練馬区にある石神井公園の池は、近所だったので、友だちとよく行ってクチボソ釣りをしていたのですが、あるとき友だちがオカメタナゴ(バラタナゴ)を釣ったことがあって、うらやましくてたまらなかった気持ちを今でも覚えています。そいつは釣りがヘタなんだけど、たまたま釣って有頂天になってやがって(笑)。忘れもしない、桟橋のボート乗り場のところでした(笑)。
角 子どもにとってタナゴって特別な魚でしたよね。美しくてカッコよくて。
田中 石神井公園でクチボソ釣りをしつつも、今日、角さんが持って来ているようなこういうタナゴ釣りの本を読んで、本当は茨城の水郷(すいごう/水辺の景色がいい村や町。ここでは北浦や霞ヶ浦のあたりをさす)へ行ってタナゴ釣りをやりたいなと思っていました。でも、東京からは遠いし、道具も本格的で、子どもにはちょっと敷居が高かったんです。
その後、中学三年生くらいのときに、どうしても水郷で釣りをしてみたいと思って、親父に頼んで連れて行ってもらい、マブナを釣りました。釣れたマブナは持って帰ってきて火鉢に水を張って入れておいたら、翌朝、全部飛び出していました。
倉茂 子どもの頃は、釣った魚は必ず持って帰ってきて飼ってみましたよね。小さい魚はわりと長生きしました。釣った魚をいつまでも手元に置いておきたいっていう気持ちがあったなあ。それにしても、水郷の風景にひかれるのはなぜなんでしょうね。「ウキを浮かべてみたい」と無性に思いますよね。
田中 そうなんですね。タナゴへのあこがれもあったけれど、水郷の風景にもひかれていたんですね。で、しばらくして、高校生のときに家の庭の木にイラガ(タマムシ)の繭を見つけたんです。「これが釣りの本に出ていたイラガか」と思って、これをエサにしてタナゴ釣りしてみたい! と思いました。
角 イラガの頭をチョキンと切り落として、そこから鉤をなかに突っ込んで、腸をぐるぐる巻きつけて、というアレですね(笑)。これは、山田孫八という凄腕の江戸前釣り師が考えついたとのことです。山田は、江戸前のキス釣り名人だったそうで、手返しよく数を釣るのだけれど、洗練もされていたスタイルを確立したそうです。
田中 へえ、そうなんですか。初めて知りました。で、タナゴ釣りの本の、そのやり方を図解したページを何度も見てあこがれてたわけ(笑)。考えるとすごく残酷なんだけど、やってみたくてね(笑)。あ、この本にもあるね。で、友だちを誘って、そのイラガを持ってどこかの水郷の細(ほそ/水田に水をひくために作られたせまい水路)に行った覚えがあります。本に書いてある通り、行きの電車のなかでイラガの頭ちょん切って(笑)、ティッシュにのせておくと、いい感じに水分が抜けてね。なんでイラガの腸なのかというと、エサ持ちがいいからなんですね。でも、そのときは釣れたのかどうか、覚えていないんです。そんな感じで、イラガにいざなわれてタナゴ釣りに行ってはみたけれど、それっきりだったんです。
倉茂 イラガの使い方はとくにすごいんだけれど、ミミズにしても、赤虫にしても、サシにしても、鉤を刺した瞬間にブルブルむずむず動いて不気味な汁が出てきたりするのが、子どもにとってはまず衝撃なんですよね。チョン掛け、通し刺し、房掛けとか、釣りの本に図解してあるとそれだけでぞくぞくしてくる(笑)。
角 そのエサをまた魚が喰って、二度目の衝撃がくるんですね。生き物が自らの生存のために他の生き物を食べる。その生きようを利用して、魚の命を掌中におさめるたびに「釣りってすごいなあ...」と思いました。
田中 この『タナゴの釣り方』は、表紙のイラストもいかしてますね。こういったひと昔前の本を見ると、子どもの頃の未知の釣りへのあこがれの気持ちをうっすら思い出しますね。
角 この西東社の「フィッシング・シリーズ」は、昭和40年頃のものですが、味わい深いものが多いんです。新書サイズで薄くて軽いのが特徴です。おそらく、釣り場に持ち出すことを考慮していたのでしょう。凝った表紙にビニールカバーがかけられていますからね。
田中 なるほど。まあそんなわけで、ずっとタナゴ釣りからは離れていたのですが、数年前に釣り友だちが「タナゴ釣り面白いよ」と誘ってくれたんです。で、連れて行ってもらったんだけど、当然、惨敗して(笑)。くやしくて、どうなっているんだろうと思ったら、市販の鉤をさらに自分で研がないとダメだということがわかった。で、ルーペとか顕微鏡とヤスリを手に入れて、シコシコ研いでみたんです。
倉茂 私も田中さんに連れて行ってもらって、研いだ鉤のすごさを知りました。はっきりとした差がありますね。
田中 その鉤研ぎは、手でやるしかないんですよ。企業が工業製品として生産するにはあまりにも小さすぎて無理か、コスト的に合わないのではないかと思います。いずれにしても、その最後のひと研ぎを自分の手でやらなければいけないところがいい。
ちょっとやってみましょうか。いつもは顕微鏡で見ながら研ぐんだけど、ルーペでやってみますね。こうやってまず平ヤスリで鉤先を短くして、針のようなかたちのヤスリで研いでから、最後にバフ掛けをして新しい鉤先を作っていくんです...これはもう肉眼じゃ見えないんですよ。
で、そうやって鉤を研いだり、シモリ仕掛け全体の微妙なバランスをとったり、それぞれの要素を会得することで、てきめんに結果がかわってくるんです。アタリがまた繊細で、しかもいろいろな種類があるんです。
こういうふうに、自分の工夫や経験が活きてくる釣り、それが「はまる釣り」ではないでしょうか。その点、タナゴ釣りはフライフィッシングをやっている人の心をつかむなにかがあると思うのです。
それにしても、タナゴ釣りはすべてがミニチュアサイズで、ニュージーランドの広大なワイタキリバーでロングキャストするのとはだいぶギャップがありますね(笑)。この小さな世界に遊ぶ感覚は、日本の庭や盆栽などを愛する感覚と相通ずるような気がします。魚がひじょうに小さいがゆえに一筋縄では行かないことを発見した江戸の釣りキチたちが、意地になってはまっていった気持ちがわかるような気がします。
角 言えてますね。ところで、タナゴ釣りは、もともと江戸時代に江戸前(現在で言うと東京湾の内湾に相当する水域)の釣りとして流行ったようですね。いまの江東区の木場あたりが本場だったようです。
庶民もやっていたようですが、お金持ちに至っては芸者や太鼓持ちを引き連れてやったりしていたようです。しかし、そのような艶やかな話は、当時の政権下の既得権益者たちがべらぼうなことをやっているのを庶民へ流布するための作り話だったという説もあります。いずれにしろ、豪商たちが豪奢な道具をつくらせて競い合ったのは事実のようですから、道具がひとつの美しさを極めたことは間違いないようです。
一方で庶民の遊びとしても浸透していたようで、数釣りが楽しまれ、相撲のように番付表が出回っていたようです。この競技釣りは戦後の昭和においても盛んに行われたようです。
このように、退廃的なことと庶民的であることが、かつてのタナゴ釣りの世界の特徴だったようです。
タナゴそのものは日本全国に生息しているのに、タナゴ釣りは江戸で隆盛を極めたのも面白いですね。
倉茂 昭和に入ると、経済の発展とともに江戸前の釣り場がほとんど消失し、海釣りの釣り場は東京湾の入り口のほうに、タナゴ釣りなどの釣り場は茨城の水郷のほうへ移っていったんですね。ただ、関東大震災と大戦のあとの数年間は、江戸前に魚が戻ったそうですが。
角 関西にはホンモロコの釣りというのがあって、仕掛けなどはタナゴ釣りのものを応用したりしている。けれど、ホンモロコは格別においしいらしく、食べるために釣るという要素も濃厚のようです。タナゴ釣りは、こんなに小さくて、引きがつよいわけでもない魚をわざわざ苦労して釣るわけで、多少は「いかだ焼き」などの食材にされていたとはいえ、どうひっくりかえっても、遊びにしかならないですものね。
倉茂 江戸では、そういった酔狂な遊びを面白がる風潮があったのでしょうね。
田中 タナゴ釣りは道具にもひかれます。これは大人になってから気づいたんですけれど、和竿の漆塗りの世界って独特の魅力があるんです。まず漆特有の柔らかい光沢。この光沢は、漆の種類によってちがうし、下地の糸の光沢が加わって深みが出るものもあります。たとえば、東作系の職人が得意とされている「透き塗り」という技法は、赤い絹糸の下地の上に、梨地という透明感の高い黄色っぽい色の漆をかけたもので、地味ながら底光りがする仕上げです。
また、竿全体の仕上げに「拭き漆」という技法があります。これは生正味(きじょうみ)などの漆を使い、塗っては拭き取る作業を何度もくりかえす技法で、竹そのものの美しさを生かした光沢のある仕上げになります。
私は昨年から都内の老舗釣具店で教わりながら自分用の竿を作りはじめましたが、刷毛で薄く伸ばしながら漆を塗り、乾いたら高番手のペーパーやすりで研ぎ上げる作業を続けていると、その部分が滑らかに仕上がっていく楽しさもさることながら、ふと気づくとその作業に何もかも忘れて夢中になっている自分がいたりして面白いです。
倉茂 ホントにはまってますね(笑)。
角 タナゴ釣りはとくにそうだと感じるのですが、経験がないジャンルの釣りを始めるとき、どこのなにが適切な道具なのか、わからないんですね。詳しい友だちとかきっかけがないとむずかしいし、それを発見するまでにいろいろプロセスがある。そのちょっと敷居が高い感じもフライフィッシングと似ているなと思いました。
倉茂 どの釣りも、そういうプロセスが残っていたほうが面白いですよね。なにもかもが説明されつくされていると、それを追体験するために釣りに行く、みたいなことになってしまう。
ところで、この合切箱や、竿袋の布地の色や模様もいい感じですね
田中 この竿袋から、塗りなど手が込んだ細工が施してある小継ぎ竿が出てきて手のひらにのる感じ、これがまたいい。しかし、この装飾の感覚は、これみよがしなゴージャスさとはちがう。あくまで自分の楽しみのためのものなんだけれど、人の目にどう映るかチラッと気にかけている雰囲気もある。そこで洒落っ気が活きるんでしょうね。
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■『タナゴの釣り方』(絶版)より。カバーの楽しいイラスト、手のひらにおさまる本のサイズがいい。イラガをエサにする方法を解説したページを見る。
■『タナゴのすべて』(赤井裕、秋山信彦、鈴木伸洋、増田修/2004年/エムピージェー)
タナゴの生態、釣り方、飼育の方法などなど、ていねいに解説。いかにタナゴがいろいろなかたちで人に親しまれているかわかる。二枚貝に託卵するタナゴの独特の産卵行動をとらえた写真も興味深い。

■『ホンモロコ/地モロコ』(渡会二竿坊/1965年/西東社/絶版)ホンモロコ釣りは昭和なか頃に隆盛を極め、道具類も漆塗りのモロコウキをはじめ、独自の進化を遂げたようだ。その後、ホンモロコの産卵の仕方が、岸近くから沖合に変化してきているため、釣りは衰退するばかりとのこと。3月から5月にかけて漁師が沖合いでとったものは、京都の錦市場や、彦根の川魚店で入手可能。
■茨城県北浦でのタナゴ釣り。写真のタナゴはタイリクバラタナゴ。現在、北浦周辺では、オカメタナゴ、アカヒレタビラ、マタナゴ、ヤリタナゴ、カネヒラ、オオタナゴなどが釣れる。
オカメタナゴはその姿態が美しく、昔から多くの釣り人に親しまれてきた。いま各地でオカメタナゴと呼ばれているタナゴは、もともとは、北浦にもながく暮らしていたゼニタナゴを指していたようだが、その後、関西出身のニッポンバラタナゴがよく釣れるようになり、また現在では、昭和18年頃より、中国の揚子江からソウギョとともにきたタイリクバラタナゴが多く見られるようになっているようだ。いずれのタナゴも、オカメタナゴと呼ばれ親しまれている。
■いかだ焼きについて/タナゴのいかだ焼きは昭和初期まで東京・神田あたりでも売られていたとのこと。冬期は苦みが薄らぎ、乙な味として親しまれていたらしい。いかだ焼きは、5匹くらいまでのタナゴを2本の櫛にさし、醤油にみりん、酒を加えたタレ(もしくは生醤油)をつけながら網で焼く調理方法。タナゴのほか、ワカサギ、ホンモロコなども食材とするようだ。
■タナゴ釣り用の合切箱(がっさいばこ)から仕掛けを出す田中さん。合切箱は、竿や仕掛け、魚籠などをうまく収納できるようになっていて、さらに箱自体に腰掛けられるようになっている。
■田中さんの合切箱の中蓋に納められているタナゴ竿や仕掛け。竿の「口塗り」に貝殻を使った「変わり塗り」が施してある。塗りには他にもさまざまな技法がある。
和竿のなかでも、タナゴ釣りなどの江戸前の釣りのために作られる竿は「江戸和竿」と呼ばれていて、たとえばタナゴ竿だったら8寸(約24センチ)とか、釣りものによって竿の仕舞い寸法がおおむね決まっていたり、ひとつのスタイルができている。江戸和竿はいまも職人がいて存続している。
江戸和竿は、深川、上野、浅草、押上などなど、客である旦那衆の気風によって竿の作風がことなったという。
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