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フライフィッシング的本棚(6)
淡水大魚とバンブーロッド
『淡水大魚釣り』
小西茂木/昭和53年/東京書店
角 敬裕(古書売買業)
私は自分の古書店をかまえるべく、その準備としてここ数年ネットオークションに古書を出品してきました。ネットオークションに初めて本を出品したのは2000年の春のことです。京王線沿いにある古本屋で、格安だったのでたまたま手に入れた『カラー図解/マブナのつり方』(利根みずさと/金園社)と『野ゴイ釣り/投餌音で寄せる』(小西茂木/西東社)の2冊です。古い本ですが、できるだけ美しく見えるように撮影して出品してみました。
入札がないものかと数時間おきにチェックしていましたが、オークション終了30分前になってもありません。これらの本は現在の釣りに通じる内容ではないのだろうか、こんな古い本を欲しがる酔狂な人はいないのか、といった考えが頭をよぎります。しかし終了間際10分を切ったところで、2冊ともに入札がありました。小西茂木さんの『野ゴイ釣り』のほうはそれから瞬く間に入札数が増え、価格が跳ね上がっていきました。
フライフィッシングに熱をあげてきた私にとって、「小西茂木」という名前すら知る由もなかったのですが、このときから強く意識するようになりました。
その後、釣りの本がよく揃えられている古本屋を巡っているうちに、小西さんの本を少しずつ入手できました。その人気の秘密を探ろうとページをめくってみると、そこでは、コイは桜前線の動きに合わせるように活発に餌をとり始め、その1か月半後に産卵活動に入るといった内容が、ソメイヨシノの開花前線の図を示しながら詳しく説明されていました。
釣り具に対する指南も、鉤やオモリにはじまり細かく記されています。驚いたことに「竿はフライキャスティングロッドを少々強くした感じの多田作野鯉竿を推奨」とあります。多田一松さんが日本で初めて六角竹竿を作った方であることは知っていましたが、コイ釣り用の竿も作っていたことをそこで初めて知りました。
そうして小西さんの本を読み進めるうちに、コイ釣りの奥深さが想像できるようになるとともに、絶版であるそれらの小西さんの本がなぜ人気があるのかもわかってきました。
それから数年たったある日、川崎の古書店で、小西さん著という『淡水大魚釣り/全』(昭和53年/東京書店刊)が安価で並んでいるのを見つけました。しかしタイトルに「コイ」の文字がなかったために、私はその本を買いませんでした。私は勝手に小西さんはコイ釣りで名が知れていると思い込んでいたのです。
後にオークションでこの本が高額で取引されていることを知り、愕然としました。実は『淡水大魚釣り/全』は滅多にオークション上に姿を見せない稀少本で、これこそが小西さんの著作における金字塔だったのです。小西さんは、コイ釣りだけでなく、レンギョなども含めたの淡水大魚の釣りを開拓した先駆者だったのです。
『淡水大魚釣り/全』では、小西さんが昭和20年代から、コイ、レンギョ、ソウギョの三魚種を主とする淡水大魚釣りにのめり込み、その研究会を興し、荒川や利根川におけるその生態解明に明け暮れる日々が綴られています。これら淡水大魚の釣りにはまったきっかけは、近所を流れる荒川のレンギョだったそうです。移入種であるレンギョの釣りに触発され、生息域を同じくし近い生態を持つコイやソウギョの釣りにのめりこんでいく著者の姿が浮き彫りにされています。
小西さんは、昭和26年の春に中山道(国道17号線)の志村橋の近くにある釣り具店に掲げてあった80センチのレンギョの魚拓を見て、これまでに見たこともない大魚が自分の生活圏にある流れに潜んでいることを知り、雷に打たれたかのような衝撃を受けます(釣り具店の店主はレンギョは昭和23年から突然釣れはじめたと言ったとあります)。
小西さんは笹目橋の橋上に並ぶ十数人の大物釣り師たちの釣り方を真似てみて、初めてのレンギョ(80センチ)を釣り上げます。橋の上からのやりとりであり、伸された竿では引っ張りあげることもできず、あたりの人たちに取り込みに協力をしてもらってなんとか釣り上げ、レンギョ釣りは生半可な道具立てではできないことを悟ります。
小西さんの手元には、仲間から「幸運な竿」と呼ばれた多田一松さん作の六角竹竿の投げ竿がありました。ハーディーのフライロッドのアクションをイメージして作られた9フィートのもので、その竿にだけ魚がよくかかり、仲間からは妬まれるほどだったそうです。レンギョ釣りには柔らかすぎ、短かすぎたのですが、小西さんはその柔らかさが淡水大魚の釣りに向いているのではないかと直感的に思いました。
そしてこの竿を他の硬く長い投げ竿と併用することによって、
「こわい竿(硬い竿)で餌を投げ入れるときつい音が起こり魚を散らしてしまっているのではないか」
「この竿はリールのコントロールを伴うことによって甘い音で餌を着水することができているのではないか」
という仮説を導き出します。
「甘い音」とはコイやレンギョが水面で跳ねるときの音に近い音とのことです。それは仲間にこちらに餌があるぞと信号を送るのと同じ効果が期待できるというのです。
コイやレンギョが音に敏感であることを利用したこの釣り方こそ、小西さんがイメージしていたものでした。だから、餌を投げ入れる時の音をコントロールするのがもっとも効果的であり、バシャンと力まかせに投じるのではなく、ポチャンとやさしく投入することが肝心だと小西さんは力説します。
後に水産試験場によって、コイやレンギョは低い周波数の音を好み、その音に寄せられる、しかしその周波数を極端に高くすると魚は逃げていくという実験結果が公表され、小西さんの仮説の正当性が証明されることになります。
そしてその「甘い音」をつくれるのは六角竹竿だと見抜いた小西さんは、多田さんのもとへ通い、その「幸運な竿」の改良を始めます。はじめに「幸運な竿」を3.6メートルに伸ばしたものを3本つくってもらいます。それは調子がうまく出ず、納得がいきません。そして長短硬軟、握りの改善を含めて次々と試作品を試すことになります。
竿の強度確認のために、試作品二本を折る実験までも行います。「巨大な新顔のために、竿えらびにも多少の苦労があってよいはず」と理想に近づく努力を惜しまず、ついに黄金比を見つけ出すのです。「前長三・六メートル、三本つぎ、穂先径二・五ミリ、竿尻まで六角材を通し、竿尻の径十五ミリ、竿尻から五十二センチ上までキルクを巻いた握りとしその間にリールシートがある。重さ五百グラム」
こうして「幸運な竿」は、投餌音をやわらかくするしなやかさと、細く軽くても大魚の引きに見合うじゅうぶんな強度と弾力を持つという特性を備えるに至ったのです。
小西さんは多田さんの生産ラインに異分子を紛れ込ませたことを考慮して言います。
「わずかな本数の、特別な竿を作るのは、工場では仕事のじゃまになるだけですが、釣りが好きで新聞社の勤めをひき、竿作りをはじめた多田一松氏は、いやな顔もせずに引きうけてくれました」
「何十本もの試作品を作る始末となったのです。そのために少々の失費をかさねましたが、流れ作業のじゃまをされた工場では、わたしの何倍かの損をしたに違いありません」
熱を帯びた小西さんの竿つくりに付き合った多田さんもまた、新しいことにチャレンジしていく精神と物作りに対する情熱を持ち合わせていたに違いありません。その竿はスペックを確定されて量産されることになり、さらに数回の改良や材料の変更を重ね、多田さんの晩年に至るまで作られることになったのです。
この竿を得た小西さんは大河、利根川へと釣り場を移します。そして利根川におけるレンギョの自然産卵と季節ごとの移動、またその分流でもある江戸川、見沼代用水、荒川における繁殖状況など、流域全体を把握することで、その釣り方を組み立てることに成功するのです(荒川はのちに汚染が進行し釣り場としての価値を失う)。
季節が春から梅雨に変わろうとしていた今年6月のある日、私は渡渉舎から送られてきた『バンブーロッドのいま』を夜半に読み始め、熱中のあまり、気づくと夜が明けようとしていました。そしてそのなかで、ビルダーの平田真人さんが小西さんが開拓したレンギョやコイを主要対象魚とした荒川の淡水大魚釣りにかつて熱をあげていたという文章に出会い、睡眠不足で妙にハイな気分がさらに高揚しました。平田さんは高校を卒業するとき、お父様に「大学に行くかわりにコイの夜釣りをやりたいから、自由にやらせてくれ」と言ったとあります。その筋金入りの釣り師の一本気にも痺れました。
平田さんが多田一松さんのもとで六角竹竿作りを学んだということは、昔の『フライの雑誌』で読み知っていたのですが、平田さんの釣りの原点にそのような淡水大魚釣りがあり、また多田さんのもとへ師事していた時代に、平田さんの「コイ釣り、六角竹竿、バンブーロッド」への興味が重なり連なっていたことが『バンブーロッドのいま』で詳しく語られており、とても興味深く思えてならなかったのです。
また平田さんは「多田さんはフライロッドだけでなく、さまざまなジャンルの六角竹竿を作っていました。とくにレンギョ用の竿は本に紹介されたので全国から注文が来ていて、いちばん多く作っていました」と言っています。
翌日、『バンブーロッドのいま』をさらに読み進めると、同じくビルダーの村田孝二郎さんの章で再び「淡水大魚釣り用多田作六角竹竿」の話が出てくるではありませんか。
私はバンブーロッドの本を読んでいるはずなのに、淡水大魚の波状攻撃にくらくらしてしまったのです。
『バンブーロッドのいま』では、ビルダーの方々の生い立ちや生活の断面が鮮やかに切り取られており、お会いしたこともないのに親しみを感じることができました。
まだ中学を出たばかりの村田さんが友人二人と釣り具店に就職を決意するシーンにもドキリとさせられました。人生の岐路とはそんな具合に転がっているものでしょうか。そこに若かりし頃の村田さんの勢いが表われています。
「バンブーロッドは加えた力が無駄なくラインに伝わっていく。だから小さなフォームでゆっくりとしたラインをキャスティングでき、より正確にソフトにフライを落とすことができます。私がバンブーロッドを実戦的な竿だと思う理由のひとつです」
この道にすべてを懸けたと思われる村田さんはそう言います。
また、平田さんも村田さんも、ヘラブナ釣り、鮎釣り、海釣りなどの日本の釣りにも深く通じておられることも知りました。彼らは小西さんと同じく半端でない釣り師であり、輸入モノであるバンブーロッドが、このような日本のビルダーの手によって、日本ならではのバンブーロッドとして作られているにちがいないと想像しました。
小西さんのように、自分がやりたい釣りをもっとも望ましいかたちで実現するために竿を誂える、そんな釣り人的情熱とともにこれからのバンブーロッドがあるとしたら、これは面白いにちがいありません。
こうして私は『淡水大魚/全』と『バンブーロッドのいま』という一見結びつかない、しかしそれぞれに熱を帯びた2冊を読んだことで、自分のなかでなにかとなにかが結びつき、急に視界が開けて新しい風景が見えてくるような気分を味わいました。こういうことがあるので、釣りと本は面白いのです。
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■『淡水大魚釣り/全』
魚の四季の動きを水系全体で把握し投餌音で寄せて釣る、自ら編み出したその釣り方でレンギョ釣りを楽しむ小西さんの熱気が伝わってくる一冊。カバーは抱きつきランディング(!)の油絵による。
この「東京書店の釣り書」シリーズには、他にも「離島の大物釣り 全」や「ヘラブナ釣り」など当時最先端だったと思われる釣りをテーマにした本がある。いずれの本も、新技術の開発とフィールド開拓への情熱が表されている。
小西さんは、レンギョという謎の多かった移入種に魅入られ、利根川の川べりに立ち、釣り続けることにより、在来種であるコイの釣りや、また他の移入種であるソウギョやアオウオの釣りにも興味の対象を広げていった。そしてやがては利根川全体の生態系に考えが及んでいった。そこに釣りという行為の持つ奥深さが伺える。
さらに、利根川での経験を活かして霞ヶ浦や北浦へと足をのばし、淡水大魚研究会の仲間の力を借りてさらに全国の河川や湖沼へと釣り場拡げていった。
小西さんは釣り場開拓と魚の生態把握という発見の喜びを存分に味わったことだろう。この本で私たちもまたその熱狂的な時間を追体験できる。
レンギョの味についても少なからずページが割かれている。
「みそ漬けの身をとろ火であぶった味は、風雅なものです」
1メートルほどのその魚体を、赤みそ4キロを用いて大型の容器で漬け込み、密封して十日ほどおき、発酵して芳香がたつようになれば食べごろとある。毎々レンギョを持ち帰ってくる小西さんを奥様があきれ返っていたという。「卵をあまからく煮付けたものはおつな味」と徹底していた。
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