フライフィッシング的本棚(7)

道東の釣りと風土が生んだ2冊
『道東の釣り』/『きたの釣り』
佐々木榮松著/2007年/水公舎


倉茂 学(渡渉舎)


 ある年の春、釧路川の下流域に下りアメマスを釣りに行った。川で越冬したアメマスが、餌のサケ稚魚とともに海へ向って川をくだってくるのを狙う釣りだ(アメマスは個体差があるようで、河口付近で越冬するものや、海で越冬するものもいるようだ)。アメマスとサケ稚魚は、岸際の緩い流れに潜んでいる。シンキングラインでメンディングを繰り返してストリーマーを岸沿いの底近くまで沈めて流すと、小さなアタリがある。鉤がかりすると意外に大物だったりする。見上げると、橋の上でひとりの老人が川面を見つめている。女子高生たちが自転車で通学していたりする。春の釧路は冷たい風が吹く日が多いが、この日は穏やかだった。
 潮の具合か、喰いがとまったので、いったん川を上がり、昼めしを食べ、釧路駅前の古本屋をのぞくと、ショーウインドウに一冊の画集があった。それまでモノクローム的な印象を持っていた釧路湿原の風景が、どこか異国を連想させるような豊かな色彩で描かれていた。稀少本らしく、高価だった。佐々木榮松(ささき・えいしょう)さんの画集だった。一緒に行った友人が「釧路在住の釣り好きの画家だ」と言った。

 その佐々木さんが60年代に出した画文集、『道東の釣り』(1961年)と『きたの釣り』(1963年)の2冊が、釧路の出版社、水公舎(すいこうしゃ)によって、ポスターや魚拓が含まれる豪華セットで復刻された。いまなぜ復刻なのか、水公舎の水口吉朗さんにお聞きした。



「道東の釣りをテーマにしたこの2冊の本を、かつて父から譲り受けて読んだことがありました。それからずいぶん長い時間がたったのですが、あるとき知人に、昔でた佐々木さんの本を探しているのだがと聞かれ、いまだにこの本を覚えている人がいることを知りました。本棚から探し出してあらためて読んでみると、この道東の釣りの雰囲気が見事に描かれていて、その豊かさ、奥深さ、厳しさなどを伝える力がいまもあることがわかりました。
 釧路川や阿寒川、西別川など、現在、フライフィッシングの釣り場としても多くの人たちに知られている道東の数々の釣り場のことを、佐々木さんはおよそ半世紀も前に、的確に、詩情あふれる絵と文ですでに記されていたのです。
 このような本は近年にも発行されていないので、復刻する意味があると思い立ちました。私は出版をやったことがないので、どのようなかたちで復刻すればいまの釣り人の心に届くのか、試行錯誤にだいぶ時間を費やしてしまいました。
 道東には全国からフライフィッシャーマンが訪れるようになりました。そんな時代のなかで、この2冊の本を通じて、釧路湿原をはじめとした道東の自然の大切さをあらためて思い起こしてほしい、そんな気持ちがあります。道東の自然は、すべての人にとって心のふるさとになりうると思うのです。その保全へ向けて、理解者が得られるのではないかとも考えました」

 水口さんは釧路在住のフライフィッシャーマンだ。水口さんの父上も釣り好きで、釣りを通じて佐々木さんと交流があったという。そうした縁を背景に、水口さんは『道東の釣り』と『きたの釣り』の復刻版を自ら発行することを決める。編集は釣り仲間の編集者に頼むのがいい、佐々木さんに頼んで油絵をカバーに使わせてもらおう、印刷と製本は自分の会社でやればいい(水口さんは印刷会社を営んでいる)、最近の釧路湿原の写真を自分で撮ってポスターにしよう...。水口さんのなかでバラバラにあったものが、「釣り」を起点にしてつながっていった。この復刻版セットの発行は、つまり水口さんが持つ風土に根があるわけだ。

 この本のもうひとつの根っこは、もちろん著者の佐々木榮松さんにある。佐々木さんは1913年(大正2年)の道東生まれ。道東の自然をテーマに、油彩、スケッチなどを多数描き、また、川、海を問わず、さまざまな釣りに親しんできた。2007年のいま、数え年で95歳になられる画家だ。

『きたの釣り』では、道東で釣れる魚と、その釣り場や仕掛けの詳細を、図をまじえてていねいに解説している。
 原野でのイトウ、アメマス、ニジマスなどの釣りをはじめ、街なかの釣りも描かれている。当時、釧路でもっとも大衆的な釣りはウグイ釣りだったという。夏、群れをなして釧路川に遡上するウグイを狙う人たちで、釧路市のどまんなかの幣舞(ぬさまい)橋は黒山の人だかりとなった。あまりの人出で、交通を妨害してしまうが、これをお巡りさんはとがめたことがない。パリのお巡りさんは市民にとけこみ、洗練されているというが、釧路市のお巡りさんもひけをとらないのではないか。そう佐々木さんは書いている。釣り人たちもいろいろで、混み合うなか、ひとりで何本も竿を出し場所を占拠する輩を「はたでみていても不愉快」とし、釣れても釣れなくてもいいように見える、ぽつねんと釣り糸をたれる老人を「無心にときを賞味している」と描写する。佐々木さんのその視線がいい。
 このフライフィッシング的本棚の(1)でご紹介した『セーヌの釣り人ヨナス』では、パリのセーヌ川の釣り人が描かれているが、佐々木さんは釧路の釧路川の釣り人を描いているわけだ。
 ちなみに、水口さんにお聞きしたところ、いま、釧路でもっとも大衆的な釣りはチカ釣りだという(チカは姿がワカサギに似た魚で、東北から北海道の沿岸の浅場に棲む)。

『道東の釣り』の「釧路港の夜釣り」でも、街なかの釣りが描かれている。釧路では短い夏のあいだ、さまざまな行事が行われ、そのたびに打ち上げ花火が上げられたという。その北国特有の喧噪から逃れるために、佐々木さんは夜の港へ行き、ガヤ(メバル)、クロゾイ(キツネメバル)などを釣る。夜空に咲いた花火が、糸をたれる涼しい水面に映え、港は美しく静かだ、と釣り人の幸福を書く。
「サンマ釣りで湧きたったきたの夏!」では、1963年7月、釧路港にやってきたサンマの大群に、街じゅうの人たちが狂喜するさまを描いている。釣り人だけでなく、女性も子どもも、工事現場の作業員も、全市総出で、釣る、すくう、ひっかけるの騒ぎとなり、例年の夏の人気者ウグイも忘れ去られたという。平和だ、と佐々木さんは思う。
 この2編にかぎらず、釧路湿原での1メートル20センチのイトウとの孤独な格闘の話や、冬のイトウ釣りにひとりででかけて道に迷う過酷な話などにも、佐々木さんの釣りの話には、いつもどこか、人や街を求めている雰囲気がある。そこに、独特の暖かみとユーモアがある。

 この2冊に書かれた釣り場の事情(釣れ具合など)を、そのまま現在にあてはめることはできない。水口さんは、問いかけるように、この復刻版セットに、1メートル20センチのイトウの魚拓(印刷複製。色が絶妙)と、最近の釧路川の写真を大きなポスターにして入れた。

(2007年11月29日)



『道東の釣り』より

■『道東の釣り』目次
道東〈東北海道〉の釣り/釧路原野の湿地帯/極寒のイトウ釣り/別寒辺牛河口の水脈/標津地方/初田牛原野/早春の仁々志別川/糸魚沢/阿寒湖/釧路港の夜釣り/道東の釣り場を望む人へ──釣りのあらすじ/東北海道の渓流を志す人へ──西別川とサシルイ川/道東の渓流釣り──標津川水系/サンマ釣りで湧きたったきたの夏!/あとに

「釣り人は、だれもがそれぞれジンクスをもっている。私のは…釣りに出掛ける時あまり他人に手間をかけたり、人騒がせをしたり、気分満点の殿さまのお出かけ風なことをすると必ず結果が悪いということ…なにげなく、そしらぬ顔で、なんの期待もなく、極く平凡な態度で出かけると、素晴らしい好結果になる。」(『道東の釣り』より)


『きたの釣り』より

■『きたの釣り』目次
さきに/釣りの道東/魚の釣り方/ヤマベ/イワナとアメマス/オショロコマ/ニジマス/イトウ/ウグイ/フナとコイ/海の投げ釣り/さぐり釣り/ソイの夜釣り/コマイ/舟釣り/チカ/道東の春の釣り場/新釧路川/利別川/芦別川/仁々志別川/風蓮川/札内川/別寒辺牛川/別当賀川/茅沼付近/名の無い川/落石/阿寒湖/釧路港の防波堤岸壁/ピリカネップ/六月のS川/ヤマベ竿でイトウを釣った話/西別川/さかなに想う/うぐいのこと/早春のやまべ/ふなの妙味/あめますとは/いとうという魚/あぶらこのこと/かれい釣りのおもいで/こまい/かじかのこと/ちかの季節/さかなたちは語る/あとに

「わたしは、ときおり自問する。「なぜ、釣りを好むのか?」と。そして、あれこれと、その自答をめぐらすのであるが、結論として「素朴な自然が好きだから」と、いうことに帰着してしまうのである。」(『きたの釣り』より)

セットの内容は、単行本『きたの釣り』B6判並製本 298 ページ、単行本『道東の釣り』B6 判並製本 208ページ、1メートル20センチのイトウの魚拓(印刷複製)、釧路川の写真(B2判カラー)、復刻版の栞(カラー14ページ)。定価4,800円(消費税・送料込み)。

郵便振替口座/02740‐3‐97250/加入者名=水公舎あてに代金を振り込むと、10日前後でセットが送られてくるとのこと。

■問い合わせは、水公舎(株式会社藤プリント内/担当=水口)へ。
電話=0154-22-9311 FAX=0154-23-7466
e-mail=fprint@marimo.or.jp まで。

 この本の収益の一部は、湿原保護のために「NPO法人トラストサルン釧路」に寄付されるとのこと。


■JR釧路駅に併設された「釧路ステーション画廊」で、佐々木さんが寄贈した約1,000点の油絵、デッサンを観ることができる。詳しくはこちら

はじめのページ

フライフィッシング的本棚
1)セーヌの釣りびとヨナス
2)釣りひとり
3)ぶらりフィッシング
4)誰も書かなかったメキシコ
5)タナゴの釣り方
6)淡水大魚釣り
7)道東の釣り/きたの釣り
8)水生昆虫アルバム







































■佐々木さんの1965年発行の著作『ソビエトの旅』(釧路つり人会)より。1964年の「第一回訪ソ釣り使節団」という総勢20名のグループでの釣り旅を記録した本。

 どういういきさつで編成されたのかわからないが、この釣り旅グループは、行く先々で「漁業交渉団」などに間違えられたり、釣り旅としてはもうひとつピリッとしなかったようだ。アムール川では本命のタイメン(イトウ)が季節はずれだったため、コイやフナを釣っている。グルジア渓谷というところでは川虫を餌にニジマス釣りに興じたりしている。

 ソチという土地では、きれいで珍しいということ以外に特別の感情がわかず、「わたしはやっぱり骨の髄までいこじな北国人になりきっているのかも知れない」とつぶやく。
 シベリア鉄道の車窓からの眺めを、まるで釧路の原野と同じではないか、しかしまわりの人たちは道東の自然を知らない、旅とは、なんとむなしく、寂しいものか、と佐々木さんは書く。

 それでも佐々木さんは、言葉が通じないロシアの人との交流も、遠慮がちに求めた。
 少年に、「この川で、魚が釣れるか?」とスケッチブックに絵を描いてたずねるシーンもいい。
 あるとき佐々木さんは、トリビシという街で見知らぬロシアの人たちに歓待され、酒宴に混じる。そのなかのひとりを、「人心の機微を感ずるのも敏」と書く。酒に弱い佐々木さんは、やがて寝込んでしまう。そのとき、釧路川の幣舞橋にいる夢を見た、という。「橋の下からは、漁夫の声や、カモメの鳴き声もひびいてくる」とある。