■中沢孝さんのこと
中沢孝さんは1951年生まれ。幼少の頃から釣りに親しみ、20歳代で始めたフライフィッシングの魅力にとりつかれ、1982年に釣り仲間たちと『フライフィッシング・ジャーナル(FFJ)』を、1987年には『フライの雑誌』を自ら創刊しました。日本で初のフライフィッシング専門誌を創った中沢さんは、編集者として多くの仕事を成して2003年に逝去しました。その中沢さんの仕事と人となりについて、『フライロッドを片手に雑誌をつくった』では26人の方に想うところを語っていただきました。
■『フライロッドを片手に雑誌をつくった』ができるまでのこと
この本をつくるにあたって、執筆してくださった方だけでなく、ほかにも何人かのフライフィッシャーマンが、ちからを貸してくださいました。ジャケット・デザインについて多くの時間をさいて相談にのってくださった田中啓一さん。おまけの「Seed」(本の奥付に「特別付録」とあるのは、この「Seed」のことです)の制作を引き受けてくださったAVM design room主宰の彫金師、古川広道さん。おまけの制作の手伝いにかけつけてくださった池田元用さん。そして、印刷製本を担当してくださったのも釧路市在住のフライフィッシャーマン、水口吉朗さんです(おまけプレゼントはお申し込みが100名様に達しましたので、しめきらせていただきました)。
渡渉舎の魚のマークは、東京・新富町のロッドメーカー「マッキーズ」の宮坂雅木さんがつくってくださいました(グラフィックデザイナーでもある宮坂さんがつくるロッドは、ラッピングのカラーリングや、グリップのシェイプが独特で、その他、さまざまな工夫がなされています)。渡渉舍の名は、『フライロッドを片手に雑誌をつくった』に執筆してくださった渡辺裕一さんが考えてくださいました。
中沢さんを知る人はもちろん、中沢さんを知らない人にも読んでいただけたらと思います。そしてまた、「タイムカプセルに乗った種」のような本になれば、とも思っています。
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